LOGIN七月五日の朝、神崎冬真は電車の中で、一枚の給食写真を見ていた。
SNSで急速に拡散されている、小学校の給食を撮影した写真だった。
白いご飯が小さな茶碗に半分ほど。
具の少ない味噌汁。
煮豆。
漬物。
それだけだった。
投稿者の説明によれば、以前は魚や肉のおかず、牛乳、デザートまでついていたという。食材調達が難しくなったため、一時的に献立を変更したらしい。
写真の真偽を冬真が確認できるわけではない。
だが、似たような報告は一件ではなかった。
別の学校では牛乳が週二回に減った。
別の自治体ではパン給食を中止し、備蓄米を使用した米飯へ切り替えた。
肉類の使用回数を減らした自治体もある。
卵を使用する献立が消え
第14話 買い占めが飢饉を早める 東雲征一郎の動画が公開された翌朝、神崎冬真が自宅近くのスーパーへ着いた時には、保存食品の棚の半分以上が空になっていた。 まだ午前九時半にもなっていない。 開店から三十分ほどしか経っていないはずだった。 缶詰。 乾麺。 パスタ。 レトルト食品。 乾燥豆。 粉末スープ。 長期保存パン。 売り場によって差はあるものの、普段なら一日かけてもなくならない量の商品が、一気に消えている。「早すぎるだろ……」 冬真は買い物かごを持ったまま立ち止まった。 店内には普段より明らかに多くの客がいる。 大型カートを使っている人が目立つ。 中には缶詰を何十個も積んでいる人もいた。 その横を、店員が大きな紙を持って走っていく。『保存食品は一商品につきお一人様三点まで』 貼り紙を見た瞬間、近くの客から不満の声が上がった。「三つだけ?」「家族五人いるんだけど」「同じ種類が三つってことですよね?」「違う味ならいいの?」 店員が説明する。「同一商品につき三点までとなります。例えばサバ味噌缶三点、サバ水煮缶三点という形になります」 それを聞いた中年女性が、すぐ棚へ戻った。「じゃあ種類変えればいいのね」 冬真はその背中を見た。 ルールというものは、作った瞬間から抜け道を探される。 悪意とは限らない。 家族のために少しでも多く確保したい。 ただそれだけなのだろう。
第13話 三か月後、食べ物がなくなる 七月五日の朝、神崎冬真は電車の中で、一枚の給食写真を見ていた。 SNSで急速に拡散されている、小学校の給食を撮影した写真だった。 白いご飯が小さな茶碗に半分ほど。 具の少ない味噌汁。 煮豆。 漬物。 それだけだった。 投稿者の説明によれば、以前は魚や肉のおかず、牛乳、デザートまでついていたという。食材調達が難しくなったため、一時的に献立を変更したらしい。 写真の真偽を冬真が確認できるわけではない。 だが、似たような報告は一件ではなかった。 別の学校では牛乳が週二回に減った。 別の自治体ではパン給食を中止し、備蓄米を使用した米飯へ切り替えた。 肉類の使用回数を減らした自治体もある。 卵を使用する献立が消えたという書き込みもあった。「子供から先に減らすわけじゃないんだろうけどな……」 冬真はスマートフォンを閉じた。 自治体だって、好きで給食を減らしているわけではない。 決められた予算がある。 その中で食材価格だけが二倍、三倍になれば、今までと同じ献立を維持できるはずがない。 それでも、子供の皿が小さくなる写真は、大人向けの商品が値上がりするニュースよりずっと胸に刺さった。 向かいの席には、小学生くらいの男の子と母親が座っていた。「今日も給食、少ないかな」 男の子が言う。 母親はスマートフォンを見ながら答えた。「どうだろうね。でも朝ちゃんと食べたでしょう」「お昼までお腹すくよ」「帰ってきたら何か作るから」「唐揚げがいい」
第12話 肉が高級品になった日 七月四日の朝、神崎冬真は冷蔵庫を開けたまま、しばらく豚肉のパックを見つめていた。 昨日買ったばかりの切り落とし肉だった。特売でも高級品でもない、ごく普通の国産豚肉である。それなのに値札には、以前なら少し良い焼き肉用の肉でも買えそうな金額が印字されていた。「百グラム三百八十九円……」 記憶違いでなければ、数週間前までは二百円前後だったはずだ。 牛肉なら分からなくもない。 だが豚肉までこの値段なのか。 冷蔵庫の奥にある卵にも目を向ける。 十個入りで八百円近くした。高すぎると思いながらも、最後の一パックだったので買ってしまったものだ。 牛乳も一本三百円を超えている。 食パンも高い。 冷凍食品も高い。 今までは野菜だけだった。 その次に米。 そして小麦粉。 気づけば、食卓のほとんど全てが値上がりしている。 冬真は豚肉を冷蔵庫へ戻した。「朝から肉食うの、もったいないな」 口に出した瞬間、自分で嫌になった。 以前なら、肉を一食分使うのに「もったいない」などと考えなかった。 食べるために買ったものなのだから、食べればいい。 それが当たり前だった。 だが今は、その一パックを今日使ってしまったら、次に同じ値段で買えるか分からない。 もっと高くなるかもしれない。 そもそも売っていないかもしれない。 そう考えてしまう。 結局、朝食は米と味噌汁、梅干しだけにした。 母親から持たされた梅干しを一つ箸で割りながら、冬真はテレビをつけた。 朝のニュースでは、畜産
第11話 備蓄米が来た日 七月三日の朝、神崎冬真が目を覚まして最初に確認したのは天気ではなく、政府の備蓄米放出に関するニュースだった。 数日前までなら、起床後に見るものといえば時刻と電車の運行情報くらいだった。ところが今では気温、降雪、道路状況、食料価格、燃料供給、穀物輸出規制まで確認してからでなければ、一日を始める気になれない。 習慣というものは恐ろしい。 世界が変われば、人間の「普通」も驚くほど早く変わる。 テレビでは朝六時台から、政府備蓄米を積んだ大型トラックが倉庫から出発する映像を繰り返し流していた。『政府は本日より、第一弾としておよそ二十万トンの備蓄米を市場へ放出します。大手卸売業者を通じ、順次全国の小売店へ供給される予定です』 画面の中では、巨大な倉庫からパレット単位で積み出される米袋が映っている。 冬真はコーヒーを飲みながら、その光景を見ていた。「二十万トンって、多いのか少ないのか分からないな」 数字が大きすぎる。 一人暮らしの人間にとって米五キロなら感覚で分かる。 十キロなら一か月以上持つ。 だが二十万トンと言われても、それが日本全体で何日分なのか、冬真には実感できなかった。 番組には食料経済の専門家が出演していた。『今回の放出量だけを見れば、直ちに米が尽きるような状況ではありません。むしろ重要なのは流通です。備蓄米は国が保管しているだけでは消費者の食卓に届きません。精米、袋詰め、輸送、小売店への配送という工程が必要です』 司会者が質問する。『つまり、備蓄が十分あってもスーパーでは品切れが続く場合がある?』『当然あります。現在は道路状況の悪化や燃料問題によって物流能力そのものが低下しています。食料の量だけではなく、それを動かす能力も考えなくてはいけません』 冬真はコーヒーカップを置いた。
第10話 政府緊急会見 七月二日の朝、東京の雪はまだ完全には消えていなかった。 大通りでは除雪車が走り、駅前には踏み固められた雪が黒く汚れて残っている。道路の中央こそ車が通れる程度には回復していたが、歩道には凍結した箇所が多く、転倒して救急搬送される人が相次いでいると朝のニュースが伝えていた。 神崎冬真は窓辺に立ち、昨夜より少し薄くなった雪景色を眺めながらコーヒーを飲んでいた。 テレビでは、午前九時から政府が緊急記者会見を開くと繰り返し告知している。『政府は昨日から関係省庁による対策会議を続けており、食料供給、電力、燃料、交通網、農業被害などについて総合的な対応方針を発表する予定です』 冬真はカップを置いた。 午前九時。 いつもなら会社にいる時間だ。 だが今日は、高木課長から「午前中は自宅待機」と連絡が来ていた。鉄道は一部復旧したものの、運行本数が少なく、会社側も現場対応要員以外の出勤を抑えている。 昨日まで「通常勤務」を維持しようとしていた会社が、一日で方針を変えた。 それだけでも事態の深刻さが伝わってきた。 スマートフォンが震える。 柴田から社内チャットだった。『神崎さん、生きてます?』『生きてる』『うち子供大喜びです。庭で雪だるま作ってます』『元気だな』『嫁は泣きそうな顔してますけどね』 冬真は少し眉をひそめた。『何かあった?』『スーパー昨日から閉まってるんですよ。道路凍って配送来てないみたいで』『食料あるのか』『今のところは。親父が送ってきた米十五キロが神に見えます』『大事に食え』『そうします』 少しして、柴田からもう一通来た。
第9話 東京、七月、雪 六月十二日の朝、神崎冬真はカーテンを開けたまま、しばらく窓の前から動けなかった。 昨夜の天気予報では、早朝に霙が混じる可能性があるとは言っていた。 それでも積もるとは聞いていない。 向かいのマンションの屋根が白い。 歩道の植え込みにも薄く雪が乗り、道路脇に停められている車の屋根は、まるで冬の朝のように白くなっていた。 さすがに路面までは積もっていない。アスファルトに落ちた雪は水に変わり、排水溝へ流れている。 それでも六月十二日だった。 冬真はスマートフォンを手に取り、外を一枚撮った。 撮ってから、自分が何のために写真を残したのか分からなくなった。「陽菜にでも送るか」 メッセージアプリを開くより先に、陽菜から写真が送られてきた。『こっちも白い。笑えないんだけど』 冬真は自分の写真も送った。『同じだ』 すぐ電話がかかってくる。『お兄ちゃん、今日会社行く?』「行くよ」『普通に?』「電車動いてるからな」『テレビ、不要不急の外出控えろって言ってるよ』「それ、大雪の地域だろ。東京はこの程度なら問題ない」『この程度って、六月に雪積もってるんだけど』「季節の話と交通の話は別だろ」『会社員って怖いね』「お前は?」『うち、午前中在宅になった。午後は状況見て判断だって』「いい会社じゃないか」『こういう時だけね。普段は編集修正、夜中でも飛んでくるけど』「在宅でも仕事は仕事だろ」『そういう正論、朝からいらない』 冬真は少し